降り注ぐ光
今日もお天気快晴でとても気持ちのいい朝。
職場に着くと早速ガーデンのお水やり。
先週S氏達と植栽した新しい花壇がかぴかぴに乾いていて、アルケミラモリスとかドライ状態になっているから水をあげておこうっていう上司の判断。
ああなんて素敵な職場。
ホースの口を親指で押さえながらなまずのひげみたいにくねくね横に揺らしてお水をあげると、水は分散されて小さな水滴になって落ちていく。
あ!
きれい!
その地面に落ちていく水滴が全部太陽の陽を受けて真っ白に光っていた。
まるで水ではなくて無数の白い光が地面に降り注いで植物たちにエネルギーを与えているみたいだった。
地面にしみ込んだ光たちは根から吸い上げられて植物たちの全身に行き渡る。
やがて葉脈を通って葉の先まで届いた光はその植物を信じられないくらい美しく輝かせてくれる。
まるで植物が光そのもののように。
とてもきれい。
ああ、そうか。
すべては本当は全部光なんだっけ。
こんな風に植物にもお庭にも私にもすべてに平等にたくさんの白い光が降り注いでいて、そうしてその私自身さえもその光だったんだっけ。
そうだった、こんな時に思い出した。
嬉しいなぁ。。。
水やりをしながらそんなことを思い出して感謝した朝。
***写真はピンボケだけどとても上品な花姿のジューンベリー♪
ブロック開放、知覚拡大、愛拡大!
瞑想をしていると時々まぶたに光が見える 。
頭頂部のチャクラを内側に開いて、光が内側に降りてくるイメージをする と、ごくまれに薄目のまつげの裏側に光がふわっと一瞬瞬くことがあって。
昨夜も寝る前の瞑想で一瞬瞼が神々しく光った。
こちらに来てからゆっくり瞑想する余裕もなかったのだけれど、最近少し落ち着いてきたので寝る前に瞑想をすることができるようになった。
グラウンディングと宙からの光注入を長いこと繰り返した後にガイドの声に耳を澄ませてみる。
だいたい何かメッセージを感じるのは半々だったりするのだけれど。
でもこの時ははっきりと三つの言葉が浮かんできた。
「信じて」「恐れないで」「愛して」。
あー今私に一番必要な言葉だー。
とても大きな愛を身体全体で感じる。
こういう時はとても豊かな気持ちになって涙が自然と流れてくるんだ。
うん、わかった、あなたを絶対的に信じて何も恐れずに進みます。
そして目に映るものすべてを愛します。
多分、八ヶ岳に引っ越して来る中でやっぱり不安とか恐れがなかったと言ったらウソで。
上は何でも知っている笑。
ただ、私は最近上の采配は寸分の狂いもなく行われていて、私の今までの人生、仕事で行った場所とか出会った人とかも全く無駄がない、全て今に繋がる意味のあることだったとリアルに感じるようになって。
本当に20年前から経験してきたことが全部繋がっているんだもの!!
びっくりするくらい。
だからきっと今起こっていることも全て今後に繋がっているんだって確信すら持てるようになった。
そうしたら何も怖くなくなってしまって。
なにか宇宙への絶対的な信頼感というか、私に必要だから必要なタイミングでこれが起こっている、と思えるようになった。
・・・と思っていたのだけれど、やっぱり不安や恐れは出てくるんだ、人間だもの笑。
だから「信じて」「恐れないで」と言ってくれたのかな、と思った。
改めて上の存在の導きを愛を持って受け止めてみる。
そうすれば何も怖くなくなるはず。
そして「愛して」。
愛は万物を救う!!!
で、その後のこと。
もう完全に眠っていた状態だったんだけど、耳元がざわざわっとした感じがあっておぼろげながら目が覚めた。
あれ、何の音だろう?
そう思う間もなく左右の鎖骨辺りからじょわじょわじょわ〰っという音とともに何かが上がってきた。
んん!?
なんだ!!!!????
音は喉の周りを這うようにして上がっていき、両耳の辺りで消えていった。
時々眠りかけの時に耳元で声がリアルに聞こえることがあるのだけれど、それとはまったく違う現象で、こんな風に完全に眠っている時にしかもじょわじょわという音なんか初めてだからびっくりして。
ドキドキしながらもああ、何かが起こってるんだと思って、大丈夫怖くないよ~と自分に言い聞かし笑、ゆっくりと深呼吸をした。
だってほんとにびっくりするのよ~(;´Д`)。
そのまままた眠ってしまったけれど、朝目が覚めた時に思った。
多分私の中の何かのブロックが外れたんだ。
以前クレッグさんが若かった頃ある日突然自分の中のブロックが一気に噴出してきて、それを人に当たらないように窓の外に向けていたと言っていたのを思い出した。
もしかしてその時の感覚ってこんなだったのかしら。
多分こちらに来てから2週間、やっぱり体調が何となくいいし自分には合っているんだなと思っていた矢先。
このままもっとブロック開放、知覚拡大、愛拡大!!!していけばよいな、と思った朝でした。
***写真は夕方のお天気雨で現れた虹♪
繋がった富士山の光景
4月10日の初出勤は信じられないくらいの気持ちいい快晴。
7日にこちらに来てからずっと雨や曇りで遠くの山は何一つ見えなかったのに、この日は待ちに待った快晴も快晴!
レインボーラインを朝走ると右にアルプス連峰、左に八ヶ岳連峰、前方右には大きな富士山がくっきりとこんな間近に見える!!!
まるで私の船出を祝福してくれているかのよう笑!
運転しながらもう四方八方きょろきょろしながら走るもんだから危うく歩道を外れそうになること何度か。
美しすぎる!!!!
これこれ、この景色がずっと見たかったの!!!!
これから毎日この景色を眺めながら通勤できるんだ~って思ったらなんて贅沢!!
それで、気がついた。
何年も前に長野のお庭のメンテナンスのお手伝いに入らせてもらった帰りのこと。
その日は一日草取りをしていたので、一人で庭の草むらに入り込んでほぼ一日土と植物と向き合って無心になっていた。
ほとんど瞑想している状態に近いほど気持ちのいい作業だった。
ああ、こんな場所でこんな生活毎日できたらなあ、と疲労感はあるけれどとても清々しく浄化された感満載で高速に乗ると、しばらくして突然目の前に富士山が見えた。
走り慣れたいつもの道なのに富士山なんて今まで一度も見たことなんてなかったから最初びっくりしたけれど、ああこの道本当は富士山が見えていたんだ、今まで何で気がつかなかったんだろう、と素直に思った。
その姿は7月だというのに頭に雪をのっけて御殿場とかで見えるくらいの立派な大きさで、あまりにも大きくて真っ白できれいだから写真に撮りたくて思わず携帯に手を伸ばしたけれど、さすがに高速、思いとどまった。
しばらく道なりに正面だった富士山が右に行ったり左に行ったりしながらそのうち見えなくなってしまって、ああ、きれいだったな~と幸せな気分。
で、家に帰ってからふとやっぱり疑問が湧いてきて地図を調べてみた。
そうしたら私が富士山を見た場所からはまず真正面に富士山は見えないということ、見えてもあんなに大きく見えるはずがない距離ということが分かった。
え、じゃああれはなんだったんだろう???と色々考えた結果、私の気持ちがその日とてもいい状態になっていたので次元が飛んじゃって見えたのかな、という結論に達した。
うん、それはそれでいいんだ。
美しいものを見せてもらったし感謝しかなかったし。
それから数年後、八ヶ岳のストリートビューを見て移住シュミレーションをしたりして楽しんでいた私は、現地の観光サイトを見ていた時にきれいな現地の写真が掲載されている中に大きな富士山の写真を見つけた。
その瞬間、あれ、もしかしたらあの時見た景色はこれからここに住んだ時に実際見ることになる光景だったんじゃないかしら、そう思ったんだ。
それからさらに1年余り。
今朝この景色を見た時に、あの時の富士山が重なって見えた。
あっ、この富士山だったんだ!!
勝手にそう思った笑。
もう何年も前から私はここに来ることが決まっていたんだな、と思った。
想像したことは全て平行世界のどこかに存在していると言われるけど、本当に存在していた!
そこに行こうとする意志さえあれば自然と物事は動くんだな。
またそれを実感した日。
ヒプノセラピー初体験♪
先日のクレッグさんの自分の中にあるブロックの気づきからのヒプノ体験。
去年セッションをして頂いたMANIさんに今回初めてヒプノセラピー(催眠療法)のセッションをお願いした。
前回のセッションでは八ヶ岳に行こうかどうしようかと悩んで迷走していた時に、本来の自分に引き戻していただいて前向きに考えられるようになってとっても救われた。
ヒプノは一度経験してみたいと前から思っていたので、せっかくなので引っ越す前に調整して頂き先日ついに初体験♪
結果から言うとずっと泣きっぱなし笑。
私には自分の言いたいことを口に出して言えないというブロックがあり、要は自分に自信が持てないという長い間解決できない問題があったのだけれど。
MANIさんがそれをペンデュラムで見てくれたところ、どうやらインナーチャイルドに会いに行くのが良さそうとのこと。
それを聞いた瞬間から自分が長い間抱えているあの過去のトラウマと向き合うことになるだろうなと覚悟はしていた。
ベッドに横になり目をつむりMANIさんの誘導で野原を歩いていく。
階段が現れてそこを降りていく。
降りた所に扉がある。
木製の真鍮の取っ手の扉。
その扉を開けてみて、と言われて取っ手に手を掛けた瞬間、その扉は昔の実家の居間の扉に変わった。
その瞬間、その家で子供の頃に感じていた後悔や暗くて悲しい感覚が一気にその扉に押し寄せてきてぞわっと鳥肌が立つような感じがした。
やだ!開けたくない!!と思ったけれどすでに私は開けていた。
そしてその部屋へ入った瞬間から胸が苦しくなって息ができなくなり、嗚咽が止まらなくなる。
そこは新しく建て替える前の実家の居間。
テレビとこたつがあって小さいころはここで遊んだりテレビを見たりしていた。
うす暗い中誰もいない、と思ったらソファに夏のパジャマを着た小さな自分が座っていた。
膝を抱えて暗い顔をしている。
そのうち涙がぽろぽろ流れて泣き出す。
私は彼女を抱きしめながら大丈夫だよって言いながら頭をなでてあげる。
ずっとこうしてあげたかった。
私はいつか小さい頃の自分に会えることができたなら大丈夫だよって言って抱きしめてあげたかったんだ。
小さな彼女はしがみつきながらついにわんわんと大声で泣きだした。
泣いている原因は「お父さんとお母さんがけんかしている」。
けんかして欲しくなくて、でも私は聞こえないふりをしていた。
子供だったから親の怒ったり泣いたりしているけんかを止めることができなくて、ただ悲しくて悲しくて違う部屋でいつも泣いていた。
両親と父方の祖母と姉と5人家族だった私。
嫁姑の相性がどうしても合わなくて家では母と父と祖母と3人のけんかが絶えなかった。
けんかは大抵台所で食卓を囲んでいる時だった。
母はよくお茶碗をお勝手口に投げつけて泣きながら怒鳴り散らしていた。
私の膝の上にはお味噌汁がこぼれて私は熱いのと悲しいので泣きじゃくっていた。
ご飯を食べる時はいつも緊張して食べていた。
母と祖母が家で一緒になる時はいつも二人の様子を伺って気を使っていた。
両親とどこかに出かける時に祖母にそのことを伝えるのは何故か私の役目だった。
眉間にしわを寄せた祖母の所に言いに行くと、必ず寂しさから出てくる嫌味を言われるのが嫌でしょうがなかった。
祖母が苦手だった。
でも母が祖母を嫌っていたので子供の私も自動的に祖母は悪い人だと思い込んでいたけれど、大人になって色んなことがわかって来るとあんなに祖母ばかり悪者にしなくても良かったんじゃないかと思うようになった。
もっと子供の頃の私が大人だったら、言いたいことが言えていたら、母にも祖母にも父にも優しく諭すことができたんじゃないか、みんながけんかをしないよう良い方法があったんじゃないか、仲良くさせてみんなが笑って幸せになることができたんじゃないか。
後ろめたさをどこかで感じながらも自分の部屋にこもって何とか自分を守るのに精一杯だった。
就職すると私はそんな家から逃げ出すように飛び出していき、さらに輪をかけて状況が悪化するような態度を取っていた。
山のような後悔だらけだった。
祖母は口は悪く性格もきつかったけれど、夫が戦死したので戦後女手一つで父を育てなくてはならずたくましくなければ生きてこれなかった苦労の人だ。
そんな祖母がやっと自分の貯金で家を建てて息子の家族を持ったのにいつも家族のイベントに参加することがなかった。
ひとり自分の部屋にこもっていた。
母方の親戚が家に集まるお正月のイベントも祖母はずっと自分の部屋にこもりっきりだった。
5人家族なのに5人揃うことがほとんどなかった。
子供心に胸が痛かった。
気の強い母と一緒になると必ずけんかになるからしょうがないのだけれど、でも祖母をのけ者にしているようですごく嫌な気持ちだった。
大人になってからは祖母に上手く話せなかったことをずっと謝りたかったし、優しくしたかった。
やっと素直に謝れるくらい大人になった私は施設に入っている祖母に会いに行った。
でもすでにその時祖母は私のことなどすっかり忘れていて、眉間のしわも取れて子供のような見たこともないほど穏やかな表情をしていた。
私は謝るタイミングを逃して、ただ黙って祖母の手を握っていた。
MANIさんが母に言いたいことがあったら全部言っていいよ、と言う。
私は小さな彼女を連れて台所の母の所へ行く。
そんなにひどい言い方しないで、お父さんにもっと優しくしてあげて、お父さんがかわいそう、そんなに怒鳴らないで、そんなに泣かないで、お母さんが悲しむと胸が痛いの、そんなお母さん嫌い、もっと笑って・・・
ふてくされている母。
そこにいる母も父も祖母も姉もみんな不幸そうな顔をしていた。
みんなが何かを我慢して何かを悲しんでいた。
悲しい思い出ばかりがよみがえって来る。
私は涙が止まらない。
MANIさんがやりたいことを何でもしていいんだよ、と言ってくれる。
私はみんなに笑って欲しかった。
楽しそうに笑って欲しかった。
だから小さな私は扉の外にひとりでいる祖母をお正月に親戚が集まっている居間に呼び寄せた。
そしてお酒を注いであげた。
すると祖母はすごく嬉しそうに笑った。
みんなも笑っていて私は本当にそれが嬉しかった。
それからあの家で見たかった光景を思いつく限り作り直していった。
台所で母と祖母がおしゃべりしながら一緒にご飯を作っている。
5人揃ってテレビを見ることなどなかった居間で、母も祖母も父も姉も一緒に全員集まって、お菓子を食べながら笑ってテレビを見ている。
親戚が集まるお餅つきに祖母も一緒に参加してみんなで笑っている。
5人で遊びに行って「疲れた~」と笑いながら家に帰って来る。
母の部屋で母と祖母が縫物を一緒にしている。
2階の祖母の部屋に母がおしゃべりをしに来ている。
祖母が帰ってくるとみんなが大きな声でお帰り~と言っている。
小学生の私は自分の部屋から祖母の部屋に向かって大きな声で何かを呼びかけている。
気を使ったり隠すことなど何もない家。
本当は家族みんながそれぞれの部屋にひっそりとこもって誰もいないような家だった。
でも今はその家中の扉が開けっ放しになって、空は気持ちいいくらいに晴れていて小さな私はその家を通り抜ける風になって、無邪気な子供のように縦横無尽に走り抜けている。
庭を通って屋根の上に来た時、「ああ楽しかったな」と思った。
この家で過ごせて楽しかった。
この家族は楽しかった。
そう思えた。
目を開ける前に小さな私と大きな私は最初の綺麗な野原に来ていた。
小さな私はもう泣いていなかった。
むしろ笑っていた。
そこで小さな私が大きな私に何かをくれた。
突き出した小さな両手を広げると、そこには花の種がたくさんあった。
彼女は笑いながら「この種を今度はみんなにあげて」。
言いたいことはわかった。
「みんなの心に花を咲かせて」
それがこれから私のやること。
全てが終わった後、MANIさんが祖母も絶対喜んでいると言ってくれた。
そうだったら嬉しい。
祖母も楽しかったと思える記憶に書き換わっているといい。
祖母だけじゃなく、父も母もそして私と同じように泣いていた姉もみんな楽しい家族だったという記憶に書き換わっているといい。
それからMANIさんは何もできなかったという無力感と言えなかった後悔で小さな私を責めてはダメだって。
これは大人の問題で小さかった私には何の責任もないのに。
この日小さな私は十分頑張っていた。
母に言いたいことも言ってみんなを笑顔に変えた。
それで十分。
きっとこれから少しずつ変わっていきますよ、と。
うん、そうだ。
よく頑張ったよ、私!!
ここまで長い時間家族との過去に向き合ったことがなかったので、さすがに疲労感。
というか泣き疲れ笑。
その夜。
がんばったご褒美にゆっくりお風呂に入ってリラックスして、そうして寝る前に瞑想をしていると祖母の顔が浮かんできた。
祖母は笑っていた。
とにかくずっと笑った祖母の顔しか浮かんでこなかった。
そこで私はまた号泣してしまった。
でもセラピーの時のような悲しい涙ではなくほっとした涙だった。
よかった。
リラックスして心を開くことについて
先週4か月ぶりのクレッグさんのグループセッションに参加!
その前の週にサイキックアウェアネスの二日間のセミナーを受けてきたばかりなのでクレッグさんウィークになっている。
クレッグさんのセッションは回数を重ねるごとに、クレッグさんの話していることが腑に落ちてちゃんととかみ砕いて呑み込めることができるようになっている気がする。
レコーダーに録音した以前のセッションの内容を聞き返してみると、その時よくわかっていなかったけれど今ならああ、そういうことを言っていたのかって気がつくことがある。
それは自分自身がその時より成長しているからなのかなって思うのだけれど。
でも私にはとても大きなブロックがあるみたい。
始めてのセッションの時に自分ではそんなつもりはなかったのだけれど、私は自分を他人から防御していると言われて自分の中の大きなブロックに気づかされた。
それまで私はまあ小さな頃のトラウマとかはあるけれどそんな大したものじゃないしもう済んだことだし、今楽しくてしょうがないし、ブロックなんて大したことないだろうと大いになめていたんだ笑。
でもクレッグさんに指摘されてそれから少しずつ自分のブロックと向き合うようになってワークを始めたら出てくる出てくる、3日続けてお風呂の中で号泣することもあった。
この数か月の中でも少しづつ開放できる機会があったりして少しは軽くなっているかな、と思って臨んだこの日のセッション。
しかしどうやらそんな簡単なものではなさそう。
私はきゅっと固くなっているみたいなんだ。
リラックスしているつもりでも自分を守るために縮こまって固くなっている状態。
それに気づかされたのは私が質問をした時。
私は以前から傍で人がイライラしはじめたりすると、肌がピリピリしてきて心臓がどきどきしてとても嫌な感覚になる。
そして相手が怒りをまき散らすとそれが鋭利な矢となって、私の心臓に物理的に突き刺さってそれがもの凄く痛い。
本当に泣きそうになるくらい痛くて、思わず手で胸を押さえてしまうくらいなんだ。
それをどうしてもかわすことができなくて、いつも自分の周りにヘミシンクで教わったバリア、リーボールを作っているのだけれど、そんなもの簡単に突き抜けてその怒りは私の心臓に突き刺さる。
どうやったらこの痛みを受けないようにできるのだろう。
クレッグさんはそれをダーツのボードに例えて話してくれた。
ダーツのボードはコルクをワイヤーできゅーっと締めて固くしたもので、そこへ矢が飛んで来れば突き刺さるようになっている。
でもそのコルクボードを締めているワイヤーを外したらどうなるか?
「ゆるくなったコルクに矢は突き刺さらないでしょう」
そう言われてはっとした。
あ、そうか、私が固く縮こまっているから痛みを感じてしまうんだ。
クレッグさんは人の怒りや悲しみを愛に変換して受け止めている。
以前のセッションで私がブロックを外して無防備になることがとても怖いと言った時、「私も皆の前にいる時とても傷つきやすい状態なんです」と言っていた。
それがキーだと。
心を開くこと。
私はそれが全然できていない。
「そういった怒りを受け止める方法を学ぶためにあなたはそういう人を引き寄せているのでしょう」
そうか・・・
バリアを張って跳ね返すのではなくて、受け止める。
リラックスして心を開く。
「もし誰かが苦しんでいてその怒りが表に出る必要があるならば私はそれを受け取ります。その怒りを胸に抱いて好きなだけ自分に突き刺させます。私は次の次元にシフトしているので肉体的ではなくなっているんです」
この話の前にクレッグさんがエネルギーを上げた時に私はクレッグさんの顔が背景と同化してはっきりと見えなくなる経験をした。
そして色んな人の顔がクレッグさんの顔に重なって見えて、それはクレッグさんの過去世が見えいているのだと言っていた。
「先ほど私が肉体的でなくなっているのを見たでしょう。だからやって来たものは私を通過したり周りによけたりしていくんです」
そうか、心を開くってそういうことか・・・
次元が違くなるんだ。
え、私にできるかしら。
リラックスして無防備になって自分の意識を拡大して、そうして上と繋がって次元をシフトした状態で人の痛みを抱きしめる。
抱きしめて愛に変換する。
・・・こわい・・・笑
やーこれはとても怖いぞ。
裸で針山に寝転ぶようなものだ。
そうか、私はそれはできない。
自分を傷つけるものから守ろうとする防衛本能が自分をできるだけ小さく小さくして、人を寄せ付けないように、誰にも見つからないようにって縮こまっているそのブロックを外すことは今の私にはできない。
自分を守るために何十年と積み上げてきた生きる術だ。
リラックスするって、心を開くってそういうことだったのか・・・
今さら気づいた。
わ~ん、それはそれは難しいぞ。
自分をむき出しにするなんて・・・
瞑想している時も上手く上と繋がれなくてある人から頂いたアドバイスが「もっとリラックスして」というものだった。
自分では完全にふにゃ~となっててリラックスできているつもりでいるのだけれど、心を開いているかと言えば開いていない・・・
いつ何が起こっても大丈夫なように自分を無防備になんて絶対しない。
そうやって生きてきたんだもの。
ようやくクレッグさんの言っていることが理解できた。
私の中にはまだまだ自分を守るために小さく縮こまって防御壁を作っているブロックがたくさんあるんだ。
とてもとてもダーツの矢が通り抜けるほど緩ますことなんてそう簡単にはできなさそうだ。
そこまで心を開いて無防備になるなんてこと・・・
でもそれは辛いけれどヒーラーが通る道だとも以前言っていた。
クレッグさんも最初は怖かったかな、今も怖いかもしれない。
ちなみに私がセッションの部屋の椅子に座った時から私のガイドは私のブロックに働きかけていてくれていたらしい。
クレッグさんがガイドに何か手伝うことはあるかと聞くとない、と笑。
だから私はセッション中ずっとガイドにワークしてもらっていたようで。
それを聞いて改めて感謝でいっぱいになった。
私は本当に生かされているんだなあ・・・
クレッグさんのセッションやセミナーに出ると愛と感謝しかいつも感じられなくなる。
あと絶対的安心感。
それを伝えると、
「それはこれから皆があなたから受け取るものです」
・・・・・・涙涙涙(T_T)!!!!
はいっ、やります~っつ!!!!
いつかクレッグさんのような大きな愛の人になれるよう精進します!!
え~ん、ありがとうございます!!
やっぱり偉大なるジェダイマスター<m(__)m>。
とりあえずまずは小さく縮こまった自分を少しずつ柔らかくして開放させていこう。
リラックス。
3人のジェダイマスター
私には3人の偉大なるジェダイマスターがいる。
(勝手に私がそう呼んでいるだけなんだけれど笑)
一人目は私の人生に植物がなくてはならないものだと気づかせてくれたガーデンデザイナーのS氏。
この庭で死ねたら本望だと思うくらい美しい庭を作る人で、どうやったらこんな美しい庭を作れるのかその術を知りたくて彼の庭へ通い続けた。
時々この人は人間の姿をした植物なんじゃないかと思うことがある。
それくらい植物と一体化していて、私は羨ましくなる時もあるのだけれど。
素手で土と植物に触れ合う彼の手はもはや手ではなく手そのものがグローブと化していて、その手の厚みは彼の植物に対する愛の強さと完全に比例していると思う。
これからS氏の作る庭のすぐそばで働くことができるなんて、初めて彼のワークショップに参加した8年前には想像もしていなかった。
あ、うそ。
想像していた!
8年前の夏の夕暮れ、ワークショップが終了した八ヶ岳の庭で至福の時間に包まれていた時、遠くに見えるピンク色に染まった入道雲をなんて素敵なんだろうって眺めていたら、入道雲に稲光が走ったんだ。
それが信じられないくらい美しくて感動した私は、ああ、私いつかここに住もうって思ったのをよく覚えている。
多分あの瞬間から私の生き方は変わって行ったんだなあ。
そして漠然と、こんな素晴らしい自然の中でS氏の作るような美しい庭を私も作りたいなあとその頃から思い始めていたんだ。
私の人生の方向を変えるきっかけをくれた恩人でもある。
二人目のジェダイマスターは、クレッグ・ジュンジュラス氏。
ヒーラーでありスピリチュアルの先生で、癒しと導きを与えてくれるとんでもなく凄いお方。
クレッグさんに初めてお会いしたのは、2015年11月のイブニングセミナー。
スピリチュアルに興味があってずっとお会いしてみたいなあと思っていて、でも私なんかじゃとてもついていけないレベルの人なんじゃないかって躊躇したりして、ようやく勇気を出して参加した日、後光に包まれているクレッグさんの凄いエネルギーを体感して感動してしまった。
それ以来、来日のたびにセッションやセミナーに参加するようになった。
クレッグさんの凄さは会うたびに感じるそのスピリチュアル的なパワーだけではなくて、おそらく参加している皆が感じるその魅力的な人柄だと思う。
クレッグさんは「愛の人」。
ユーモアといたずら心が満載でいつもセミナーでは笑わせてもらっているけれど、気がつけばいつの間にか部屋全体が大きな愛のエネルギーで満たされている。
クレッグさんから溢れ出す愛は深くて大きくて、私自身がその愛になれるんじゃないかと思うくらいで、涙がこぼれてしまいそうなほど幸せな気持ちにさせてくれる素晴らしい方。
クレッグさんはその大きな愛で長い間自分の中に閉じ込めていた苦しい思いとか悲しい気持ちを少しずつ取り出して開放してくれる。
会うたびにどんどんクレッグさんの魅力に引き込まれてしまい、来日するたびに少しでも多くクレッグさんの愛を肌で感じていたくて、セッションやセミナーをいくつかまとめていつも予約してしまうほど。
クレッグさんにお会いした後しばらくは心が満たされて、何があっても穏やかな気持ちでいられる。
いつか私もこんな風に少しでも人を優しく幸せな気持ちにすることができるような大きな「愛の人」になりたいな。
クレッグさんに出会えたことは私にとって人生最大の奇跡のひとつ。
導かれていたのだとしても私は奇跡と呼びたいくらい感動しているんだ。
感謝しかない出会いです。
そしてこちらが3人目のジェダイマスター笑。
子供の頃からスターウォーズが大好きでハン・ソロが私の初恋の人で、ルーク・スカイウォーカーはカリスマ的な存在だった。
その中でヨーダは群を抜いて大好きなキャラクター。
文字通り偉大なるジェダイマスター。
あのルークの背中に背負われている(くっついてる)おじいちゃんみたいなヨーダが可愛くてしょうがなかった。
そのヨーダのモデルとなったのが実はヘミシンクを開発したロバート・モンローさんだと知ったのはごく最近。
F21のセミナーを受けた時にトレーナーのMさんに教えてもらったのだけれど、確かに顔がそっくりなんだ!!!
えっ、まさか!!
子供の頃から大好きだったキャラクターがここにきてスピリチュアルとつながるなんて!!?
偶然・・・????
奇跡!!!
いやいや必然!!!!
世の中は本当に面白い笑。
May the Force be with you.
ベランダの子供たち
今満開のユーフォルビア リギダ。
鮮やかな黄色も好きだけれど最大の魅力は秋の紅葉。
何とも言えない柔らかいピンクがグラデーションになってとてもとても美しくて本当にほれぼれとしてしまう。
そして今私を一番喜ばせているのがこちら!!
うふふふふ。
おととしの秋、引っ越した時に冷蔵庫に保管していた種を撒いたものが先日ようやく発芽した様子♪
何種類か撒いたのだけれどこの子だけ発芽してくれた。
実は何の種だかわからない笑。
だって札が風で飛んで行ってしまったんだもの笑。
でも冷蔵庫で保管していたということは、私のお気に入りの植物のはずなのでこれからどんな風に成長するかが楽しみで楽しみで♪♪♪
ちなみに手前の細い葉っぱはムスカリ。
どうやらこぼれ種で発芽したみたい。
ムスカリは球根なんだけど、この球根がとにかく増える!
元々このムスカリはあるガーデンを訪れた時にたまたま小道に落ちていた1個の球根で、それをこれ幸いとばかりに持って帰って笑小さな鉢に植えておいたら、鉢の中でどんどん増えていって私を喜ばせてくれた。
でも球根なので特に種なんか気にしていなかったら、職場の人にムスカリって種でも増えるんだよって教えてもらって。
へー意外~、と思っていた矢先。
この時期のベランダは一斉に植物たちが動き出すから毎日見ていても新しい発見があってとても楽しい。
さて、この子たちを無事に八ヶ岳まで運ぶことができるかな・・・?