ヒプノセラピー初体験♪
先日のクレッグさんの自分の中にあるブロックの気づきからのヒプノ体験。
去年セッションをして頂いたMANIさんに今回初めてヒプノセラピー(催眠療法)のセッションをお願いした。
前回のセッションでは八ヶ岳に行こうかどうしようかと悩んで迷走していた時に、本来の自分に引き戻していただいて前向きに考えられるようになってとっても救われた。
ヒプノは一度経験してみたいと前から思っていたので、せっかくなので引っ越す前に調整して頂き先日ついに初体験♪
結果から言うとずっと泣きっぱなし笑。
私には自分の言いたいことを口に出して言えないというブロックがあり、要は自分に自信が持てないという長い間解決できない問題があったのだけれど。
MANIさんがそれをペンデュラムで見てくれたところ、どうやらインナーチャイルドに会いに行くのが良さそうとのこと。
それを聞いた瞬間から自分が長い間抱えているあの過去のトラウマと向き合うことになるだろうなと覚悟はしていた。
ベッドに横になり目をつむりMANIさんの誘導で野原を歩いていく。
階段が現れてそこを降りていく。
降りた所に扉がある。
木製の真鍮の取っ手の扉。
その扉を開けてみて、と言われて取っ手に手を掛けた瞬間、その扉は昔の実家の居間の扉に変わった。
その瞬間、その家で子供の頃に感じていた後悔や暗くて悲しい感覚が一気にその扉に押し寄せてきてぞわっと鳥肌が立つような感じがした。
やだ!開けたくない!!と思ったけれどすでに私は開けていた。
そしてその部屋へ入った瞬間から胸が苦しくなって息ができなくなり、嗚咽が止まらなくなる。
そこは新しく建て替える前の実家の居間。
テレビとこたつがあって小さいころはここで遊んだりテレビを見たりしていた。
うす暗い中誰もいない、と思ったらソファに夏のパジャマを着た小さな自分が座っていた。
膝を抱えて暗い顔をしている。
そのうち涙がぽろぽろ流れて泣き出す。
私は彼女を抱きしめながら大丈夫だよって言いながら頭をなでてあげる。
ずっとこうしてあげたかった。
私はいつか小さい頃の自分に会えることができたなら大丈夫だよって言って抱きしめてあげたかったんだ。
小さな彼女はしがみつきながらついにわんわんと大声で泣きだした。
泣いている原因は「お父さんとお母さんがけんかしている」。
けんかして欲しくなくて、でも私は聞こえないふりをしていた。
子供だったから親の怒ったり泣いたりしているけんかを止めることができなくて、ただ悲しくて悲しくて違う部屋でいつも泣いていた。
両親と父方の祖母と姉と5人家族だった私。
嫁姑の相性がどうしても合わなくて家では母と父と祖母と3人のけんかが絶えなかった。
けんかは大抵台所で食卓を囲んでいる時だった。
母はよくお茶碗をお勝手口に投げつけて泣きながら怒鳴り散らしていた。
私の膝の上にはお味噌汁がこぼれて私は熱いのと悲しいので泣きじゃくっていた。
ご飯を食べる時はいつも緊張して食べていた。
母と祖母が家で一緒になる時はいつも二人の様子を伺って気を使っていた。
両親とどこかに出かける時に祖母にそのことを伝えるのは何故か私の役目だった。
眉間にしわを寄せた祖母の所に言いに行くと、必ず寂しさから出てくる嫌味を言われるのが嫌でしょうがなかった。
祖母が苦手だった。
でも母が祖母を嫌っていたので子供の私も自動的に祖母は悪い人だと思い込んでいたけれど、大人になって色んなことがわかって来るとあんなに祖母ばかり悪者にしなくても良かったんじゃないかと思うようになった。
もっと子供の頃の私が大人だったら、言いたいことが言えていたら、母にも祖母にも父にも優しく諭すことができたんじゃないか、みんながけんかをしないよう良い方法があったんじゃないか、仲良くさせてみんなが笑って幸せになることができたんじゃないか。
後ろめたさをどこかで感じながらも自分の部屋にこもって何とか自分を守るのに精一杯だった。
就職すると私はそんな家から逃げ出すように飛び出していき、さらに輪をかけて状況が悪化するような態度を取っていた。
山のような後悔だらけだった。
祖母は口は悪く性格もきつかったけれど、夫が戦死したので戦後女手一つで父を育てなくてはならずたくましくなければ生きてこれなかった苦労の人だ。
そんな祖母がやっと自分の貯金で家を建てて息子の家族を持ったのにいつも家族のイベントに参加することがなかった。
ひとり自分の部屋にこもっていた。
母方の親戚が家に集まるお正月のイベントも祖母はずっと自分の部屋にこもりっきりだった。
5人家族なのに5人揃うことがほとんどなかった。
子供心に胸が痛かった。
気の強い母と一緒になると必ずけんかになるからしょうがないのだけれど、でも祖母をのけ者にしているようですごく嫌な気持ちだった。
大人になってからは祖母に上手く話せなかったことをずっと謝りたかったし、優しくしたかった。
やっと素直に謝れるくらい大人になった私は施設に入っている祖母に会いに行った。
でもすでにその時祖母は私のことなどすっかり忘れていて、眉間のしわも取れて子供のような見たこともないほど穏やかな表情をしていた。
私は謝るタイミングを逃して、ただ黙って祖母の手を握っていた。
MANIさんが母に言いたいことがあったら全部言っていいよ、と言う。
私は小さな彼女を連れて台所の母の所へ行く。
そんなにひどい言い方しないで、お父さんにもっと優しくしてあげて、お父さんがかわいそう、そんなに怒鳴らないで、そんなに泣かないで、お母さんが悲しむと胸が痛いの、そんなお母さん嫌い、もっと笑って・・・
ふてくされている母。
そこにいる母も父も祖母も姉もみんな不幸そうな顔をしていた。
みんなが何かを我慢して何かを悲しんでいた。
悲しい思い出ばかりがよみがえって来る。
私は涙が止まらない。
MANIさんがやりたいことを何でもしていいんだよ、と言ってくれる。
私はみんなに笑って欲しかった。
楽しそうに笑って欲しかった。
だから小さな私は扉の外にひとりでいる祖母をお正月に親戚が集まっている居間に呼び寄せた。
そしてお酒を注いであげた。
すると祖母はすごく嬉しそうに笑った。
みんなも笑っていて私は本当にそれが嬉しかった。
それからあの家で見たかった光景を思いつく限り作り直していった。
台所で母と祖母がおしゃべりしながら一緒にご飯を作っている。
5人揃ってテレビを見ることなどなかった居間で、母も祖母も父も姉も一緒に全員集まって、お菓子を食べながら笑ってテレビを見ている。
親戚が集まるお餅つきに祖母も一緒に参加してみんなで笑っている。
5人で遊びに行って「疲れた~」と笑いながら家に帰って来る。
母の部屋で母と祖母が縫物を一緒にしている。
2階の祖母の部屋に母がおしゃべりをしに来ている。
祖母が帰ってくるとみんなが大きな声でお帰り~と言っている。
小学生の私は自分の部屋から祖母の部屋に向かって大きな声で何かを呼びかけている。
気を使ったり隠すことなど何もない家。
本当は家族みんながそれぞれの部屋にひっそりとこもって誰もいないような家だった。
でも今はその家中の扉が開けっ放しになって、空は気持ちいいくらいに晴れていて小さな私はその家を通り抜ける風になって、無邪気な子供のように縦横無尽に走り抜けている。
庭を通って屋根の上に来た時、「ああ楽しかったな」と思った。
この家で過ごせて楽しかった。
この家族は楽しかった。
そう思えた。
目を開ける前に小さな私と大きな私は最初の綺麗な野原に来ていた。
小さな私はもう泣いていなかった。
むしろ笑っていた。
そこで小さな私が大きな私に何かをくれた。
突き出した小さな両手を広げると、そこには花の種がたくさんあった。
彼女は笑いながら「この種を今度はみんなにあげて」。
言いたいことはわかった。
「みんなの心に花を咲かせて」
それがこれから私のやること。
全てが終わった後、MANIさんが祖母も絶対喜んでいると言ってくれた。
そうだったら嬉しい。
祖母も楽しかったと思える記憶に書き換わっているといい。
祖母だけじゃなく、父も母もそして私と同じように泣いていた姉もみんな楽しい家族だったという記憶に書き換わっているといい。
それからMANIさんは何もできなかったという無力感と言えなかった後悔で小さな私を責めてはダメだって。
これは大人の問題で小さかった私には何の責任もないのに。
この日小さな私は十分頑張っていた。
母に言いたいことも言ってみんなを笑顔に変えた。
それで十分。
きっとこれから少しずつ変わっていきますよ、と。
うん、そうだ。
よく頑張ったよ、私!!
ここまで長い時間家族との過去に向き合ったことがなかったので、さすがに疲労感。
というか泣き疲れ笑。
その夜。
がんばったご褒美にゆっくりお風呂に入ってリラックスして、そうして寝る前に瞑想をしていると祖母の顔が浮かんできた。
祖母は笑っていた。
とにかくずっと笑った祖母の顔しか浮かんでこなかった。
そこで私はまた号泣してしまった。
でもセラピーの時のような悲しい涙ではなくほっとした涙だった。
よかった。