土と生きる人たち
昨日の午前中は職場敷地内にある作成中の新しい花壇のゴミ拾いをお手伝いしていた。
ここでは花壇の基礎を自分たちで作る。
(植栽デザインは別だけれど)
石を自分たちで砕いて積んで枠を作り、花壇に高さをつけるために自分たちで土を入れ込んでいく。
その土は敷地内にある林の切り崩した土を再利用している。
だから木の根っことか正体不明の根っこがたくさん混じっている。
その土を花壇の基礎となる部分に入れるわけだから、当然あらかじめできるだけ不要なものは拾っておきたい。
ショベルカーを操っている社長に通りがかりに依頼され、喜んで盛り立ての花壇の中へ♪
私は子供の頃から土が好きだった。
東京でも山に囲まれた八王子の実家は当時近所の家もまばらで地平線に落ちていく夕日を家から見ることができる場所だった。
林の中へ探検に行って基地を作ったり川でザリガニを取ったり木登りをするのが楽しくてしょうがない子供の頃の遊びだった。
何かにつけ泥んこになるのが好きで、意味もなく地面に寝転がって動物のように自分に土を擦りつけている感じだった笑。
自分でもなぜかわからないのだけれど、自然の中で土にまみれたり泥んこになっている時、自分は解放されているような感じだったんだ。
なぜか自分らしくいられて気持ちがいいというか。
それがずっと大人になっても続いていて、だからガーデンのメンテナンスで植物の中に身を置き、土に膝をつき、土を手でならし、土のにおいを感じることが楽しくてしょうがなかった。
だからこの職場の環境は私にとって嬉しくなる要素がたくさん揃っている場所なんだ。
新しい花壇の中にはすでに半分くらい土が運ばれてきていた。
何度もシャベルで掘り返され土にまみれた木の根や石ころを1本ずつ拾っていく。
湿って重たい土。
埋まっている枝は力を入れないとなかなか抜けない。
そこへ容赦なくトラックで運ばれてきた土がどんどん落とされていく。
その土のボリューム。
目の前で大きなシャベルでかき回されるとまた新たな根っこが出没してくる。
拾っても拾っても出てくる!
あっという間に長靴も手袋も湿った土でどろどろべたべたになった。
そこへ雨が降ってくる。
さらに土は重たくなる。
あ、こうやってここの人たちはこの土地を拓いていったのかな。
ふとそう思った。
この職場があるこの地はもともと生きていくのにとても大変な土地だった。
昭和初期に移り住んできた人たちが冬は極寒で痩せた土地を苦労して耕し切り拓いていった場所だ。
だから今でもここの人たちは皆驚くほどよく身体を動かして働く。
彼らを見ているとこの土地の自然と土と一緒に生きている感が半端ない。
土地を開拓するって、どれだけ大変なんだろう。
今まで考えたことなかったけれど。
山を切り崩し、石ころや枝を拾い、土をならし、腐葉土をすき込み。
きっとこうやって何度も何度も気の遠くなるほどのボリュームの土を掘り返していたのかな。
私の手なんかじゃ到底掘り返せないほどの土の重さ。
楽しむためではなく、生きるために土と付き合い続けてきた人たち。
この土地を開拓してきた人のエネルギーを感じて圧倒された日。
***写真はツリバナの木と新緑♪