種の取り出し作業中にトラウマと向き合う
1月28日(土)
今日はまた八ヶ岳に行ってきた。
新しいアパートの内見に行ったら思いのほかあっという間に終わってしまったので、現在北杜市に住んでいるガーデナーの友人Nさんにランチのお誘いの電話をしてみた。
Nさんは私が春からお世話になる転職先を紹介してくれた方で、植物なんでも知っている大尊敬するガーデナーさん。
私が八ヶ岳に通うようになったのは憧れていたガーデンデザイナーS氏のワークショップに1年間参加したのがきっかけ。
そこでOJTとして彼の作るお庭のメンテナンスのお手伝いに入らせてもらうようになって、それが楽しくて楽しくてそれからしつこく押しかけるようになって、そこで知り合ったのが当時S氏の事務所でガーデナーとして働いていたNさん。
とても面倒見の良い方でいつも姉のように私のことを気にかけてくれて、私はNさんのおかげで今でもS氏のお庭のお手伝いに入らせてもらっていると思っている、いわば恩人。
そんなNさんに先日の転職先の面接の報告もきちんとしたかったし、Nさんの近況も聞きたかったのであわよくば時間があればランチでもと思った。
Nさんの実家は軽井沢の方で今はシーズンオフのため仕事が少ないので実家に帰っているのだけれど、ここ数日間は用事で北杜市の方のアパートにいるという連絡を頂いていた。
Nさんの電話は留守電になっていたのでメッセージを入れておいたけれど、帰りの電車までの45分ほどの時間を何もない駅前の商店街をうろうろしていてもらちが明かないので、迷った末Nさんとのランチは諦めて駅前のおそば屋さんに入ることにした。
席に着いてお茶が出てきた瞬間、Nさんからの電話が鳴った!
今近くに来ていることを告げるとびっくりしてから「今日S氏の事務所に遊びがてら手伝いに来ているの。調度いいからお昼食べてから事務所に来てS氏とTさんに挨拶していったら?今から迎えに行くね!」と言ってくれた。
私は急いでお茶を出してくださったお店の方に丁重に謝ってからそそくさと店を出た笑。
30秒電話が鳴るのが遅かったら私は注文していた。
Nさんナイスタイミング!!
そして15分後車で迎えに来ていただいたNさんと森の中のお店でランチをした後、近くにあるS氏の事務所へ向かった。
実はアパート内見の日取りが決まった時、一緒に事務所にご挨拶に伺えたらいいなと思っていた。
私が八ヶ岳に来たいと思うきっかけをくれたのがS氏の庭だったし、無理やり押しかけていた私を快く迎え入れてくれていたのはS氏の事務所の女社長Tさんだった。
一時は図々しくもTさんに事務所で雇ってくれないかと言っていた私にとってお二人はNさんと同じくらいの大恩人。
ようやく八ヶ岳へ来ることができるようになったのだから、しかも転職先はS氏の植栽がされている施設でこれから一緒にお仕事をしていく可能性もあるので、きちんと菓子折り持ってご挨拶しておかなければと思っていた。
でも車でないとなかなか伺えない場所なのでご報告だけメールでして、直接会ってお話しするのはやっぱり春になってからかな、と思っていた矢先の展開。
Nさんに超感謝(*´▽`*)!!
事務所に着くと調度出かけていたTさんが戻って来た所で、中を覗くとS氏も奥の部屋にいて手を振ってくれた。
お二人にご挨拶をして一通りのご報告をしてから駅のお土産屋で購入した「甲州ワイン使用」と書いてある(笑)お菓子を手渡した。
本当はご挨拶に伺う時はきちんと東京で選んだとにかく品の良い菓子折りを持ってくるつもりだったのに・・・
まさか今日伺うことになるとは思わなかったので、いきなりの展開に何もない駅前のお土産屋で「甲州りんご」とか「甲州ワイン」とか「信玄餅」とか書いてあるお土産を地元に住んでいる彼らに渡す恥ずかしさったら笑。
奥の部屋ではS氏が秋に採取した植物の種を花がらから取り出す作業をしていた。
調度イネ科の種を手で揉みながら取っていたので、部屋中粉塵だらけでS氏も今戻ったNさんもマスクをして、部屋にある棚はみんなうっすらと白い埃をかぶっていた。
やりたがりの私はせっかく来たんだしこんな機会めったにないから初めての種の選別作業をお手伝いさせてもらうことになった。
やった♪♪♪
お庭のメンテナンスに入らせてもらった時によく種採りはしていたけれど、採取したところから種を取り出す作業は初めて。
種のまわりについている花がらや茎、ふわふわした薄い葉のようなものをザルの中で手や石を使って中の種が出てくるまである程度揉みつぶしていき、それを中華鍋に入れてゆすりながらふうっと優しく息を吹きかけていくと、乾燥した軽いもみがらや葉だけが飛び散って水分を含んだ重い種だけが鍋の底に残るという仕組み。
植物によって種の大きさはまちまちで、手で揉みつぶしていても小さすぎて一体どれが種なのか全くわからないものもある。
種がどんなものか確認しようとして乾燥した小さな花を爪先で小さく小さく分解してみたら最後何も残らなかったりする。
「?????」
綿あめを水の中で洗って最後なくなってしまった動画の中のアライグマみたいに理解できず、セーターがもみがらだらけになっているS氏へ中華鍋を渡すとじっと観察するように鍋の底を見つめた後、「あるよ、出てきてるよ」と言って少し揉んでからふうっと鍋に息を吹きかける。
ものの1分で「はい、できた」と手渡された鍋の底にはきれいに大さじ1杯ほどの小麦粉みたいな種だけが残っていた。
「!!!!!」
こんな粉粒を!?
なんで見分けられるの?????
笑った。
凄すぎて笑うしかなかった(笑)
すげー
やっぱり凄すぎるこの人(笑)
そうやって3人で色んな大きさの鍋とザルを駆使しながらゴミ箱の上でもみがらを吹き飛ばし(ほとんどはどこかへ飛んで行っている)、おしゃべりをしている時に「トラウマ」の話になった。
確か右脳タイプ、左脳タイプという話題になって私が「自分は計画をきちんと立てて動かないとだめだから完全に左脳タイプ。直感で動けるようになりたいんだけど今まで計画を立てずに動くとたいてい失敗ばかりしてきた」という話しをしてからだったと思う。
計画を立ててじっくりと考えてから動くというのは、失敗するのが怖くてあらかじめ予防線を張ることで失敗から自分の身を守るための私の生きる術だった。
なぜか私は失敗することへの恐怖心や恥ずかしさみたいなものが人一倍あって、それは多分子供の頃のトラウマから来ていると思っているのだけれど。
「どんなトラウマ?」とS氏が聞くので「みんなの前でひどく先生に叱られたり、親に必要以上に責められたり・・・」と子供の頃の辛かった断片を話すと、S氏は大きくうなずいて、「大勢の前で責められたら子供はそれは言い返せないよね」と言ってくれた。
「今は大人だからこうやって言えるけれど、子供の時は上手くできなかったことをみんなの前で責められても先生に言い返すことなんてできないし、そのまま大人になってもそれは残るよね」
小学生の私がクラスの皆の前に立たされて、担任の先生にひどく責められている姿が脳裏に浮かぶ。
「違うよ、先生の言ったとおりにやってみようとしたんだよ、でもどうやったらいいかわからなくてできなかったの・・・先生の言葉を聞かなかったわけじゃなくてできなかっただけなのに・・・それなのになんでこんなに責められるんだろう・・・」
一言も言い返すことができずにただ黙ってうつむいたまま、先生の言うことを聞いていた。
家と学校が世界のすべてだった当時の私にとっては、親や先生は絶対正しいものだった。
その絶対正しい存在から私は間違っているとクラス全員の前で責められた。
この経験がたくさんある自分のトラウマのうちのひとつだということはもうずいぶん前から知っている。
だから何度もそのシーンを無理やり思い浮かべては、家に帰って親にそのことを言うこともできずにひとりで呑み込んでいた自分の気持ちを涙と一緒に少しずつ開放してきた。
でもまだ開放しきれずにいたみたい。
話している途中で泣きそうになってきてしまった。
しまった、こんなところで涙腺ONになってしまったら大変だ、超恥ずかしいじゃん、と自分に言い聞かせてなんとか涙を抑える。
S氏が言う。
「大丈夫、もうその(私を責めた)人はいないから」
ああそうだ、もうあの先生はここにはいない。
上手くできなくてももうあの先生に理不尽に責められることはないんだ。
私を否定してきたあのいじめっ子たちももういないんだ。
もしまた彼らが現れても大人になった私はきちんと立ち向かう強さを持っているし、それに何より自分の意思で聞き流す術を知っている。
そして今はこうやって私の気持ちを理解し頷いてくれる人たちがいる。
あれれれ・・・
何だろうこの感覚。
なんかセミナーでクレッグさんの話を聞いている時に感じる感覚に似ている。
喉の奥に詰まっていた重たい鉛みたいものが溶け出して柔らかくなっていく感じ。
同時に解放された涙が出てくる。
「あ、だめです、ほんとに涙出てきちゃった・・・汗」
「大丈夫、今ならこの塵のせいだってごまかせるから笑」
そういってしばらくS氏はNさんとふたりで私を笑わせてくれた。
うわー恥ずかしい・・・!
久しぶりに事務所に来て何をするかと思えばトラウマで泣く????
膝の上に中華鍋を乗せたままNさんの差し出したティッシュで涙を拭きながら、恥ずかしさのあまりその鍋を頭からかぶりたいような気分だった。
でも同時に少しすっきりした自分に気がついた。
やっぱり辛かったことを辛かったと誰かに聞いてもらうことや、泣きたい時に泣くって大事なんだなあと実感。
子供の頃はそれができずにいつも呑み込んでいた。
でも今はそんな私を受け止めてくれる人がいる。
泣いた私を責めることなくふたりは逆に笑わせてくれた。
私はみんなに助けられ許されている。
だから私もここで同じように私の大切な人たちを守れるような場所を作りたいと思った。
それが八ヶ岳に行こうと思った一番の理由。
気がつけば今日は想像しうる最高の展開になっていた。
内見したアパートは想像通り素敵で問題なくその場で即決できたし、Nさんとはタイミングばっちりに連絡取れて久しぶりに会ってごはんも食べられたし、おまけにご挨拶に行きたかったS氏の事務所に連れて行ってもらえた。
事務所に行くなら会えたら嬉しいなと思っていたS氏にも会えたし、S氏がいるなら何かお手伝いしたいなと思っていたら一緒に種の選別作業を手伝うことができた。
天気は雲ひとつない快晴でいつもより暖かくて、正面に富士山、西には甲斐駒ケ岳と北岳が真っ白に輝いていた。
感謝しか浮かばない美しい一日でした。