土と生きる人たち
昨日の午前中は職場敷地内にある作成中の新しい花壇のゴミ拾いをお手伝いしていた。
ここでは花壇の基礎を自分たちで作る。
(植栽デザインは別だけれど)
石を自分たちで砕いて積んで枠を作り、花壇に高さをつけるために自分たちで土を入れ込んでいく。
その土は敷地内にある林の切り崩した土を再利用している。
だから木の根っことか正体不明の根っこがたくさん混じっている。
その土を花壇の基礎となる部分に入れるわけだから、当然あらかじめできるだけ不要なものは拾っておきたい。
ショベルカーを操っている社長に通りがかりに依頼され、喜んで盛り立ての花壇の中へ♪
私は子供の頃から土が好きだった。
東京でも山に囲まれた八王子の実家は当時近所の家もまばらで地平線に落ちていく夕日を家から見ることができる場所だった。
林の中へ探検に行って基地を作ったり川でザリガニを取ったり木登りをするのが楽しくてしょうがない子供の頃の遊びだった。
何かにつけ泥んこになるのが好きで、意味もなく地面に寝転がって動物のように自分に土を擦りつけている感じだった笑。
自分でもなぜかわからないのだけれど、自然の中で土にまみれたり泥んこになっている時、自分は解放されているような感じだったんだ。
なぜか自分らしくいられて気持ちがいいというか。
それがずっと大人になっても続いていて、だからガーデンのメンテナンスで植物の中に身を置き、土に膝をつき、土を手でならし、土のにおいを感じることが楽しくてしょうがなかった。
だからこの職場の環境は私にとって嬉しくなる要素がたくさん揃っている場所なんだ。
新しい花壇の中にはすでに半分くらい土が運ばれてきていた。
何度もシャベルで掘り返され土にまみれた木の根や石ころを1本ずつ拾っていく。
湿って重たい土。
埋まっている枝は力を入れないとなかなか抜けない。
そこへ容赦なくトラックで運ばれてきた土がどんどん落とされていく。
その土のボリューム。
目の前で大きなシャベルでかき回されるとまた新たな根っこが出没してくる。
拾っても拾っても出てくる!
あっという間に長靴も手袋も湿った土でどろどろべたべたになった。
そこへ雨が降ってくる。
さらに土は重たくなる。
あ、こうやってここの人たちはこの土地を拓いていったのかな。
ふとそう思った。
この職場があるこの地はもともと生きていくのにとても大変な土地だった。
昭和初期に移り住んできた人たちが冬は極寒で痩せた土地を苦労して耕し切り拓いていった場所だ。
だから今でもここの人たちは皆驚くほどよく身体を動かして働く。
彼らを見ているとこの土地の自然と土と一緒に生きている感が半端ない。
土地を開拓するって、どれだけ大変なんだろう。
今まで考えたことなかったけれど。
山を切り崩し、石ころや枝を拾い、土をならし、腐葉土をすき込み。
きっとこうやって何度も何度も気の遠くなるほどのボリュームの土を掘り返していたのかな。
私の手なんかじゃ到底掘り返せないほどの土の重さ。
楽しむためではなく、生きるために土と付き合い続けてきた人たち。
この土地を開拓してきた人のエネルギーを感じて圧倒された日。
***写真はツリバナの木と新緑♪
具現化について
どうしよう笑、楽しい。
こっちに来てから楽しいことしかない。
ここ八ヶ岳に引っ越してきて1か月。
ようやく車生活にも慣れてきて、真っ暗な山道にも慣れてきて、週1回の遠方スーパーへの買い出しにも慣れてきたところ。
5月に入って山里ではようやく桜が満開になって、朝は日に日に萌え木色に変わっていく森の景色に心奪われ、夕方の八ヶ岳連峰を眺めた時に空に広がる雲の色ったら死ぬほど美しくて、涙が出るほど嬉しくて、ああ、なんて素敵なんだろうって心拍数があがってばっかりで。
通勤だけで毎日こんなに幸せになれている自分。
そしてここに来てからさらに具現化が日々進んでいることを実感。
仕事は私の大尊敬する師匠、ガーデンデザイナーS氏の庭がある施設。
販売をしながらありがたいことにガーデンのメンテナンス作業にも入らせてもらっている。
私にとって師匠の作るガーデンの勉強はこちらに来た一つの目的でもあるので、なんでもいいからやらせてください!という感じで、販売の仕事がお手すきの時には半日だけとか1時間だけとかでも上からのGoサインさえ出れば喜んですぐに作業着に着替えて参加させてもらっている。
想像以上に作業に参加させてもらっていることがとても驚きなのだけれど、私がここへ入社したら庭を勉強したいということをあらかじめ話していたので、それを上司も理解してくれていて、とにかく庭関係の作業を振ってくれる。
本業は販売なのに笑。
久しぶりの休みも丸一日職場に来て庭作業をさせてもらい、昼休みは毎日お庭を観察しながらお弁当を食べてもうガーデン三昧。
新しいガーデンを増設中ということもあって今は師匠も頻繁にここに通っていて、しょっちゅう顔を合わせるようになった。
今まではお庭のメンテに入っても年に1,2回奇跡的に師匠に会えるくらいで、しかも一緒に作業できるなんてことはなかった。
お庭にお手伝いに入らせてもらっているだけでも恐れ多いんだけれど笑。
でもここに来てからありがたいことに師匠と一緒に作業をする機会が30倍くらいになって、植物たちを植栽するその神の手を目の前で観察し、どんな時に何を見ているのかその視線を隣で追うことができるなんて、もうそれがどれだけ贅沢なことかっていったらあなた!!!!!
口では説明できないようなプロフェッショナルなレベルの高さを肌で実感するたびに感動しまくり、その一挙一動を見逃すまいとストーカーのように瞬きひとつせずにポケットにメモを忍ばせながら盗み見ている自分。
ああ、ずっとこれ私やりたかったんだ。
黙々と作業しながらふと気がついた。
あんなにやりたかったことが今現実になっている。
こんな幸せなことってない。
毎日感謝で胸が一杯になるばかり。
他にも具現化を日常的に実感しているところとしてはガーデン繋がりでいくと。
その日フラックス(Linum perenne)の苗を植栽していた時にガーデナーのNさんにこれは亜麻仁油とか麻の取れる植物の宿根草版なんだよと説明を受けていた。
ああ、そういえば亜麻仁油って身体に良いんだよな、でも高いしまだ食したことはないなあと思っていたら、その日の午後、お客様からの頂きものだから好きなもの貰っていっていいよ、と渡された紙袋の中に。
なんと。
亜麻仁油が入っていた。
これ本当。
もちろん一緒に入っていたお菓子とかそっちのけでこれ欲しいですとさらっと言ってさりげなく頂いてきてしまった笑。
いやびっくり!
それからスーパーが近くにないのでだいたい週1くらいで大量に買い込むというサイクルになっていたのだけれど、葉物はどうしても買いだめできないのでここのところ野菜が不足していた。
せめてトマトがあればな~トマト食べたいな~と思っていたら、これまた職場に近所の方からB品のトマトの差し入れが大量に届いた!!!
スタッフももらっていっていいよと言われ喜び勇んで両手一杯頂いてきた。
ラッキー!!!
あとはレジ金の500円が少なくなってきたな、どうしようかなと思った瞬間、次のお客様が500円差し出して「これ料替えしてください」って。
ほんとよ笑。
おもしろいくらいの具現化。
特に些細なことが笑。
なんだかマンガみたいになってきたなと思うことしばしば。
偶然と思ってもいいし、自分の意思が現実化していると思ってもいいと思うんだけど。
とにかくこちらに来てから毎日楽しいことしかなくて、本当にこんなに楽しくていいのかしらと罪悪感を危うく持ちそうになるくらいで。
いかんいかん、純粋に感謝して楽しもう、幸せだということだけを感じていよう!
だって私のガイドが言ってくれた。
「信じて」「恐れないで」「愛して」。
それだけをできるだけ意識して過ごすようにしているのだけれど、そのおかげかな。
こんな調子でこちらに来た本当の目的も早く現実にできるようになるといい。
もちろんするつもりだけれど。
今はそこに行くまでの過程。
必要なことを経験させてもらっているんだ。
それは毎日凄く実感としてある。
恐れが出てきそうな時はとにかく上を信じるようにすることで迷いがなくなる。
もう私はこちらに来た時から上の導きに身を委ねると決めたのだから。
とにかく今の状況にひたすら感謝~<m(__)m>!!!
***写真はあちこちに咲き乱れている可愛いすみれ達♪
自分に合っているもの
八ヶ岳に引っ越してから1か月。
怒涛のGWが終わり初めて2連休を頂いたので、久しぶりに新宿へ買い物へ出かけた。
こちらに来てからなんとなく少しずつ足りないものがたまっていき、買い物リストは15項目にもなっていたので、一度まとめて買い出しへ行こうと思ったのがきっかけ。
でもちょっと都会がホームシックになってたこともあって、前の夜にはうきうきが止まらなかった。
何でもいいからとにかく色々見て買い物がしたかったんだ。
久しぶりに中央本線に乗って新宿まで2時間。
八王子を過ぎたあたりから家が密集して立ち並んでいるのを見てすごく新鮮な感じがしてくる。
すごいな~みんなこんなところに住んでいるんだった。
私も1か月前まではこんなに人が多い所に住んでいたんだった。
たった1か月でこんな風に思うようになるなんてちょっと驚き。
新宿に着いて電車を降りると体が凝り固まっていたせいか、混み合うホームを歩く自分が重く感じる。
あれ?
何だろうこの感覚。
紀伊国屋の階段を上る。
身体が重い。
ん~????
そんな運動不足なわけじゃないんだけど。
てゆうかむしろ逆。
庭のメンテナンスにたくさん入らせてもらっているし、その庭がある職場の敷地自体がかなり起伏があって毎日軽い山登りしている感じだから、足腰は結構鍛えられてきていると思うんだけど。
もしかしたら私身体がもう八ヶ岳仕様に変わっているのかな、ってふと思った。
八ヶ岳仕様ってよくわからないけど笑。
実は私こっちに来てから体調がすごくいい。
いつも春先には体調を崩すんだけど今年はそんなことないし、なんとなく調子が良くないっていう漠然とした感覚が全くなくなってしまって、むしろ身体が軽くて絶好調!
だってGW中もお庭のメンテとかで丸一日体力作業を合間に入れながら、気がつけば丸2週間休みなしだったにも関わらず、全く疲れていない!!!
こっちに来てから毎日楽しいことしかなくて疲れることがない、むしろまだ働ける、くらい元気。
まあ、残業なくきちんと時間通りに帰らせてもらっていて、規則正しく早寝早起きして睡眠時間も取れているというのもあるけれど、それでもこれには驚いた。
で、この感覚思い出したんだ。
以前、あるヒーラーのおじちゃんがいて、そのおじちゃんとまるまる5時間畳の部屋に座りっぱなしでしゃべっていたにも関わらず全く疲れなかった時と一緒。
そんなに座りっぱなしだったら大抵腰が痛くなったり、足が固まったりして身体が悲鳴を上げるのに。
部屋にいるだけでずっとおじちゃんは上からのエネルギーを降ろしてヒーリングしてくれていたんだよね。
そのおじちゃんが言っていたのだけれど、都会よりも田舎の方が「降ってくるもの」の量が多いって。
「降ってくるもの」って多分宇宙からのエネルギーかなって思っているのだけれど。
きっとおじちゃんと話していた時と同じようにこの土地に「降ってくる」エネルギーにヒーリングされているんだな、私。
あのホースから降り注ぐ光を受けた植物みたいに。
こちらに来てから瞑想もとてもやりやすくなったし、特にグランディングがいい感じにできている気がする。
気がする笑。
でも瞑想を始めると東京にいた頃よりも断然エネルギーを感じるんだ。
地面からのエネルギーと宙からのエネルギー。
やっぱり体調がいい理由ってそういうことなのかなって。
で、私、東京にいた時当たり前のように毎日こんな重たい感じで生活していたのかなって何か発見した気持ちだったんだ。
同じような発見が少し前にもあった。
新しい職場に転職した最初の5日間は、週末にイベントがあったのでその準備で事務所の人がみんな出払ってしまい、私はずっと電話番だった。
やることがないのでずっとパソコンで調べものしたり、会社のHPを見てこんなことやってるんだ~って色々勉強する時間ができて良かったのだけれど。
(てゆうか入社する前に普通調べるでしょ笑)
そのパソコンを見ているという作業を丸一日していると頭が痛くなってきた。
後半はもうパソコン見るのも嫌なくらい気持ち悪くなってしまって。
前々職では輸入雑貨屋の本社でずっとパソコン作業だった。
イラストレーターで販促物作ったり、部門別商品別売上をエクセル表にまとめてたいそうなデータも作っていた。
そういう作業が好きだったし全然苦でもなかったのだけれど、ある人にそれはできるけれどあなたには合わないと言われた。
それよりも自然の中で仕事する方が絶対に合っているって。
その時はピンとこなかったのだけれど、今になってわかったんだ。
当時12時間、13時間も毎日パソコンに向かってデータ作業をしていても平気だったのに、今は8時間でもう身体が拒否反応を示している。
次に転職した植物屋では販売をしていたのでパソコンに丸一日向かい合うことはなかった。
(それがなくなっただけで万年肩こりがあっという間になくなったのも驚きだったんだけど)
だからこんなに1日集中して画面に向かったのは2年ぶりくらい。
そこで気がついた。
あ~そうか、私に合っていないってこういうことか。
当時はそれが当たり前だったからわからなかったけれど、身体が嫌がることずっとしていたんだなって離れてから初めて気がついたんだ。
でも新宿に着いてからの重たい感じは、買い物をする楽しさに紛れてすぐになくなってしまったのだけれど笑。
なぜ重たいかはわからないけれど、少なくとも新宿よりも八ヶ岳の方が断然自分の身体に合っているということは実感している今日この頃。
そうやって知らず知らずストレスに感じていることとかをどんどん開放していって、本来の自分にどんどんなっていけるといいなと思った日。
***写真は連休2日目に突如思い立って訪れた尾白川渓谷♪
降り注ぐ光
今日もお天気快晴でとても気持ちのいい朝。
職場に着くと早速ガーデンのお水やり。
先週S氏達と植栽した新しい花壇がかぴかぴに乾いていて、アルケミラモリスとかドライ状態になっているから水をあげておこうっていう上司の判断。
ああなんて素敵な職場。
ホースの口を親指で押さえながらなまずのひげみたいにくねくね横に揺らしてお水をあげると、水は分散されて小さな水滴になって落ちていく。
あ!
きれい!
その地面に落ちていく水滴が全部太陽の陽を受けて真っ白に光っていた。
まるで水ではなくて無数の白い光が地面に降り注いで植物たちにエネルギーを与えているみたいだった。
地面にしみ込んだ光たちは根から吸い上げられて植物たちの全身に行き渡る。
やがて葉脈を通って葉の先まで届いた光はその植物を信じられないくらい美しく輝かせてくれる。
まるで植物が光そのもののように。
とてもきれい。
ああ、そうか。
すべては本当は全部光なんだっけ。
こんな風に植物にもお庭にも私にもすべてに平等にたくさんの白い光が降り注いでいて、そうしてその私自身さえもその光だったんだっけ。
そうだった、こんな時に思い出した。
嬉しいなぁ。。。
水やりをしながらそんなことを思い出して感謝した朝。
***写真はピンボケだけどとても上品な花姿のジューンベリー♪
ブロック開放、知覚拡大、愛拡大!
瞑想をしていると時々まぶたに光が見える 。
頭頂部のチャクラを内側に開いて、光が内側に降りてくるイメージをする と、ごくまれに薄目のまつげの裏側に光がふわっと一瞬瞬くことがあって。
昨夜も寝る前の瞑想で一瞬瞼が神々しく光った。
こちらに来てからゆっくり瞑想する余裕もなかったのだけれど、最近少し落ち着いてきたので寝る前に瞑想をすることができるようになった。
グラウンディングと宙からの光注入を長いこと繰り返した後にガイドの声に耳を澄ませてみる。
だいたい何かメッセージを感じるのは半々だったりするのだけれど。
でもこの時ははっきりと三つの言葉が浮かんできた。
「信じて」「恐れないで」「愛して」。
あー今私に一番必要な言葉だー。
とても大きな愛を身体全体で感じる。
こういう時はとても豊かな気持ちになって涙が自然と流れてくるんだ。
うん、わかった、あなたを絶対的に信じて何も恐れずに進みます。
そして目に映るものすべてを愛します。
多分、八ヶ岳に引っ越して来る中でやっぱり不安とか恐れがなかったと言ったらウソで。
上は何でも知っている笑。
ただ、私は最近上の采配は寸分の狂いもなく行われていて、私の今までの人生、仕事で行った場所とか出会った人とかも全く無駄がない、全て今に繋がる意味のあることだったとリアルに感じるようになって。
本当に20年前から経験してきたことが全部繋がっているんだもの!!
びっくりするくらい。
だからきっと今起こっていることも全て今後に繋がっているんだって確信すら持てるようになった。
そうしたら何も怖くなくなってしまって。
なにか宇宙への絶対的な信頼感というか、私に必要だから必要なタイミングでこれが起こっている、と思えるようになった。
・・・と思っていたのだけれど、やっぱり不安や恐れは出てくるんだ、人間だもの笑。
だから「信じて」「恐れないで」と言ってくれたのかな、と思った。
改めて上の存在の導きを愛を持って受け止めてみる。
そうすれば何も怖くなくなるはず。
そして「愛して」。
愛は万物を救う!!!
で、その後のこと。
もう完全に眠っていた状態だったんだけど、耳元がざわざわっとした感じがあっておぼろげながら目が覚めた。
あれ、何の音だろう?
そう思う間もなく左右の鎖骨辺りからじょわじょわじょわ〰っという音とともに何かが上がってきた。
んん!?
なんだ!!!!????
音は喉の周りを這うようにして上がっていき、両耳の辺りで消えていった。
時々眠りかけの時に耳元で声がリアルに聞こえることがあるのだけれど、それとはまったく違う現象で、こんな風に完全に眠っている時にしかもじょわじょわという音なんか初めてだからびっくりして。
ドキドキしながらもああ、何かが起こってるんだと思って、大丈夫怖くないよ~と自分に言い聞かし笑、ゆっくりと深呼吸をした。
だってほんとにびっくりするのよ~(;´Д`)。
そのまままた眠ってしまったけれど、朝目が覚めた時に思った。
多分私の中の何かのブロックが外れたんだ。
以前クレッグさんが若かった頃ある日突然自分の中のブロックが一気に噴出してきて、それを人に当たらないように窓の外に向けていたと言っていたのを思い出した。
もしかしてその時の感覚ってこんなだったのかしら。
多分こちらに来てから2週間、やっぱり体調が何となくいいし自分には合っているんだなと思っていた矢先。
このままもっとブロック開放、知覚拡大、愛拡大!!!していけばよいな、と思った朝でした。
***写真は夕方のお天気雨で現れた虹♪
繋がった富士山の光景
4月10日の初出勤は信じられないくらいの気持ちいい快晴。
7日にこちらに来てからずっと雨や曇りで遠くの山は何一つ見えなかったのに、この日は待ちに待った快晴も快晴!
レインボーラインを朝走ると右にアルプス連峰、左に八ヶ岳連峰、前方右には大きな富士山がくっきりとこんな間近に見える!!!
まるで私の船出を祝福してくれているかのよう笑!
運転しながらもう四方八方きょろきょろしながら走るもんだから危うく歩道を外れそうになること何度か。
美しすぎる!!!!
これこれ、この景色がずっと見たかったの!!!!
これから毎日この景色を眺めながら通勤できるんだ~って思ったらなんて贅沢!!
それで、気がついた。
何年も前に長野のお庭のメンテナンスのお手伝いに入らせてもらった帰りのこと。
その日は一日草取りをしていたので、一人で庭の草むらに入り込んでほぼ一日土と植物と向き合って無心になっていた。
ほとんど瞑想している状態に近いほど気持ちのいい作業だった。
ああ、こんな場所でこんな生活毎日できたらなあ、と疲労感はあるけれどとても清々しく浄化された感満載で高速に乗ると、しばらくして突然目の前に富士山が見えた。
走り慣れたいつもの道なのに富士山なんて今まで一度も見たことなんてなかったから最初びっくりしたけれど、ああこの道本当は富士山が見えていたんだ、今まで何で気がつかなかったんだろう、と素直に思った。
その姿は7月だというのに頭に雪をのっけて御殿場とかで見えるくらいの立派な大きさで、あまりにも大きくて真っ白できれいだから写真に撮りたくて思わず携帯に手を伸ばしたけれど、さすがに高速、思いとどまった。
しばらく道なりに正面だった富士山が右に行ったり左に行ったりしながらそのうち見えなくなってしまって、ああ、きれいだったな~と幸せな気分。
で、家に帰ってからふとやっぱり疑問が湧いてきて地図を調べてみた。
そうしたら私が富士山を見た場所からはまず真正面に富士山は見えないということ、見えてもあんなに大きく見えるはずがない距離ということが分かった。
え、じゃああれはなんだったんだろう???と色々考えた結果、私の気持ちがその日とてもいい状態になっていたので次元が飛んじゃって見えたのかな、という結論に達した。
うん、それはそれでいいんだ。
美しいものを見せてもらったし感謝しかなかったし。
それから数年後、八ヶ岳のストリートビューを見て移住シュミレーションをしたりして楽しんでいた私は、現地の観光サイトを見ていた時にきれいな現地の写真が掲載されている中に大きな富士山の写真を見つけた。
その瞬間、あれ、もしかしたらあの時見た景色はこれからここに住んだ時に実際見ることになる光景だったんじゃないかしら、そう思ったんだ。
それからさらに1年余り。
今朝この景色を見た時に、あの時の富士山が重なって見えた。
あっ、この富士山だったんだ!!
勝手にそう思った笑。
もう何年も前から私はここに来ることが決まっていたんだな、と思った。
想像したことは全て平行世界のどこかに存在していると言われるけど、本当に存在していた!
そこに行こうとする意志さえあれば自然と物事は動くんだな。
またそれを実感した日。
ヒプノセラピー初体験♪
先日のクレッグさんの自分の中にあるブロックの気づきからのヒプノ体験。
去年セッションをして頂いたMANIさんに今回初めてヒプノセラピー(催眠療法)のセッションをお願いした。
前回のセッションでは八ヶ岳に行こうかどうしようかと悩んで迷走していた時に、本来の自分に引き戻していただいて前向きに考えられるようになってとっても救われた。
ヒプノは一度経験してみたいと前から思っていたので、せっかくなので引っ越す前に調整して頂き先日ついに初体験♪
結果から言うとずっと泣きっぱなし笑。
私には自分の言いたいことを口に出して言えないというブロックがあり、要は自分に自信が持てないという長い間解決できない問題があったのだけれど。
MANIさんがそれをペンデュラムで見てくれたところ、どうやらインナーチャイルドに会いに行くのが良さそうとのこと。
それを聞いた瞬間から自分が長い間抱えているあの過去のトラウマと向き合うことになるだろうなと覚悟はしていた。
ベッドに横になり目をつむりMANIさんの誘導で野原を歩いていく。
階段が現れてそこを降りていく。
降りた所に扉がある。
木製の真鍮の取っ手の扉。
その扉を開けてみて、と言われて取っ手に手を掛けた瞬間、その扉は昔の実家の居間の扉に変わった。
その瞬間、その家で子供の頃に感じていた後悔や暗くて悲しい感覚が一気にその扉に押し寄せてきてぞわっと鳥肌が立つような感じがした。
やだ!開けたくない!!と思ったけれどすでに私は開けていた。
そしてその部屋へ入った瞬間から胸が苦しくなって息ができなくなり、嗚咽が止まらなくなる。
そこは新しく建て替える前の実家の居間。
テレビとこたつがあって小さいころはここで遊んだりテレビを見たりしていた。
うす暗い中誰もいない、と思ったらソファに夏のパジャマを着た小さな自分が座っていた。
膝を抱えて暗い顔をしている。
そのうち涙がぽろぽろ流れて泣き出す。
私は彼女を抱きしめながら大丈夫だよって言いながら頭をなでてあげる。
ずっとこうしてあげたかった。
私はいつか小さい頃の自分に会えることができたなら大丈夫だよって言って抱きしめてあげたかったんだ。
小さな彼女はしがみつきながらついにわんわんと大声で泣きだした。
泣いている原因は「お父さんとお母さんがけんかしている」。
けんかして欲しくなくて、でも私は聞こえないふりをしていた。
子供だったから親の怒ったり泣いたりしているけんかを止めることができなくて、ただ悲しくて悲しくて違う部屋でいつも泣いていた。
両親と父方の祖母と姉と5人家族だった私。
嫁姑の相性がどうしても合わなくて家では母と父と祖母と3人のけんかが絶えなかった。
けんかは大抵台所で食卓を囲んでいる時だった。
母はよくお茶碗をお勝手口に投げつけて泣きながら怒鳴り散らしていた。
私の膝の上にはお味噌汁がこぼれて私は熱いのと悲しいので泣きじゃくっていた。
ご飯を食べる時はいつも緊張して食べていた。
母と祖母が家で一緒になる時はいつも二人の様子を伺って気を使っていた。
両親とどこかに出かける時に祖母にそのことを伝えるのは何故か私の役目だった。
眉間にしわを寄せた祖母の所に言いに行くと、必ず寂しさから出てくる嫌味を言われるのが嫌でしょうがなかった。
祖母が苦手だった。
でも母が祖母を嫌っていたので子供の私も自動的に祖母は悪い人だと思い込んでいたけれど、大人になって色んなことがわかって来るとあんなに祖母ばかり悪者にしなくても良かったんじゃないかと思うようになった。
もっと子供の頃の私が大人だったら、言いたいことが言えていたら、母にも祖母にも父にも優しく諭すことができたんじゃないか、みんながけんかをしないよう良い方法があったんじゃないか、仲良くさせてみんなが笑って幸せになることができたんじゃないか。
後ろめたさをどこかで感じながらも自分の部屋にこもって何とか自分を守るのに精一杯だった。
就職すると私はそんな家から逃げ出すように飛び出していき、さらに輪をかけて状況が悪化するような態度を取っていた。
山のような後悔だらけだった。
祖母は口は悪く性格もきつかったけれど、夫が戦死したので戦後女手一つで父を育てなくてはならずたくましくなければ生きてこれなかった苦労の人だ。
そんな祖母がやっと自分の貯金で家を建てて息子の家族を持ったのにいつも家族のイベントに参加することがなかった。
ひとり自分の部屋にこもっていた。
母方の親戚が家に集まるお正月のイベントも祖母はずっと自分の部屋にこもりっきりだった。
5人家族なのに5人揃うことがほとんどなかった。
子供心に胸が痛かった。
気の強い母と一緒になると必ずけんかになるからしょうがないのだけれど、でも祖母をのけ者にしているようですごく嫌な気持ちだった。
大人になってからは祖母に上手く話せなかったことをずっと謝りたかったし、優しくしたかった。
やっと素直に謝れるくらい大人になった私は施設に入っている祖母に会いに行った。
でもすでにその時祖母は私のことなどすっかり忘れていて、眉間のしわも取れて子供のような見たこともないほど穏やかな表情をしていた。
私は謝るタイミングを逃して、ただ黙って祖母の手を握っていた。
MANIさんが母に言いたいことがあったら全部言っていいよ、と言う。
私は小さな彼女を連れて台所の母の所へ行く。
そんなにひどい言い方しないで、お父さんにもっと優しくしてあげて、お父さんがかわいそう、そんなに怒鳴らないで、そんなに泣かないで、お母さんが悲しむと胸が痛いの、そんなお母さん嫌い、もっと笑って・・・
ふてくされている母。
そこにいる母も父も祖母も姉もみんな不幸そうな顔をしていた。
みんなが何かを我慢して何かを悲しんでいた。
悲しい思い出ばかりがよみがえって来る。
私は涙が止まらない。
MANIさんがやりたいことを何でもしていいんだよ、と言ってくれる。
私はみんなに笑って欲しかった。
楽しそうに笑って欲しかった。
だから小さな私は扉の外にひとりでいる祖母をお正月に親戚が集まっている居間に呼び寄せた。
そしてお酒を注いであげた。
すると祖母はすごく嬉しそうに笑った。
みんなも笑っていて私は本当にそれが嬉しかった。
それからあの家で見たかった光景を思いつく限り作り直していった。
台所で母と祖母がおしゃべりしながら一緒にご飯を作っている。
5人揃ってテレビを見ることなどなかった居間で、母も祖母も父も姉も一緒に全員集まって、お菓子を食べながら笑ってテレビを見ている。
親戚が集まるお餅つきに祖母も一緒に参加してみんなで笑っている。
5人で遊びに行って「疲れた~」と笑いながら家に帰って来る。
母の部屋で母と祖母が縫物を一緒にしている。
2階の祖母の部屋に母がおしゃべりをしに来ている。
祖母が帰ってくるとみんなが大きな声でお帰り~と言っている。
小学生の私は自分の部屋から祖母の部屋に向かって大きな声で何かを呼びかけている。
気を使ったり隠すことなど何もない家。
本当は家族みんながそれぞれの部屋にひっそりとこもって誰もいないような家だった。
でも今はその家中の扉が開けっ放しになって、空は気持ちいいくらいに晴れていて小さな私はその家を通り抜ける風になって、無邪気な子供のように縦横無尽に走り抜けている。
庭を通って屋根の上に来た時、「ああ楽しかったな」と思った。
この家で過ごせて楽しかった。
この家族は楽しかった。
そう思えた。
目を開ける前に小さな私と大きな私は最初の綺麗な野原に来ていた。
小さな私はもう泣いていなかった。
むしろ笑っていた。
そこで小さな私が大きな私に何かをくれた。
突き出した小さな両手を広げると、そこには花の種がたくさんあった。
彼女は笑いながら「この種を今度はみんなにあげて」。
言いたいことはわかった。
「みんなの心に花を咲かせて」
それがこれから私のやること。
全てが終わった後、MANIさんが祖母も絶対喜んでいると言ってくれた。
そうだったら嬉しい。
祖母も楽しかったと思える記憶に書き換わっているといい。
祖母だけじゃなく、父も母もそして私と同じように泣いていた姉もみんな楽しい家族だったという記憶に書き換わっているといい。
それからMANIさんは何もできなかったという無力感と言えなかった後悔で小さな私を責めてはダメだって。
これは大人の問題で小さかった私には何の責任もないのに。
この日小さな私は十分頑張っていた。
母に言いたいことも言ってみんなを笑顔に変えた。
それで十分。
きっとこれから少しずつ変わっていきますよ、と。
うん、そうだ。
よく頑張ったよ、私!!
ここまで長い時間家族との過去に向き合ったことがなかったので、さすがに疲労感。
というか泣き疲れ笑。
その夜。
がんばったご褒美にゆっくりお風呂に入ってリラックスして、そうして寝る前に瞑想をしていると祖母の顔が浮かんできた。
祖母は笑っていた。
とにかくずっと笑った祖母の顔しか浮かんでこなかった。
そこで私はまた号泣してしまった。
でもセラピーの時のような悲しい涙ではなくほっとした涙だった。
よかった。